今日は、母親に会いに行って来ました。

かろうじて、俺だということが分かるようでした。

しかし、話している言葉が不明瞭で、内容は時代を超えて、昔に戻っていました。

人間、認知症になるにつれて、短期記憶が薄れ、結晶化された記憶が際立ちます。

昔の話を良く覚えている高齢者がその例でもあり、実際にそのような状態になっています。

高齢者、障害者も含め、福祉の仕事に従事していて、顕著にこの状態が現れている利用者さんを数多く見てきました。

正直、家族にとっては辛いことだと思います。

それでも、今生きていてくれる。あと何年生きてくれるかわからないけど、

それでも、生きている今の時間を共有していきたいと、私も家族も考えています。


正直、余命はあと数年だと思います。

それで、私は結婚を焦っていたのではないかと考えてしまいました。


私の祖母が他界する直前も同じ気持ちでした。

当時付き合っていた彼女(昨年2月に別れた彼女です)を連れて、意識がもうろうとする祖母の元に行き

「俺たち結婚するから」

そう言って、3人で手を握り合いました。

その2日後、祖母は旅立ちました。

しかし、祖母には嘘をついてしまったことになります。

その当時は、結婚するのかなと、お互いに思っていたかもしれません。

でも、それは無に帰してしまいました。

この同じ状況を母にも作ってしまうのは、母にも相手の女性にも失礼なことではないかと今では考えています。

「お前は一生独身だよ」

そう、母が元気な頃に良く言われていました。

それは、私の生活、性格などが要因していたからだと思います。

今でも、生活は安定していません。それに、まだ夢を追いかけることを考えてしまうこともあります。

福祉からITへ再び戻った時も、かなりな冒険をしていると思いました。

その上、俳優に戻るなんて考えもまだ捨て切れていない自分がいます。

もちろん、生活が成り立っていけば、人に迷惑をかけない仕事であれば何をやっても良いと思います。

しかし、現実的に、さまざまな社会経験を積んだからと言って、再び舞台に立つことはあまりにも無謀だとも思います。

その前に、安定した暮らしがしたいという気持ちもあるので、趣味で舞台に立つことはあっても、

実益を伴った商業演劇の舞台に立つことは無いと思います。

昔に比べれば、落ち着きも出て、客観的観点に立つこともできるので、

20年前にこの状況が作れたならいくらでもトライできたと思います。

それに、今はエンジニアとしての可能性を拡大していくことに楽しみを感じているので、

まずは一貫性を大切にして、転機が訪れたら再び考えればいいやとも思っております。

最終的な目的は「ゼネラリスト」

専門的知識を持ちながら、幅広い知識も併せ持つ人間になりたいと思っています。


かなり大それたことを言っているのも承知しています。

それでも、今できることをコツコツやることは悪くないとも思いますし、

この先、今やっていることの結果が出てくるとも思いますので、

まずは、焦ることなく、結婚に関してもまっさらな状態にして、冷静に考えて生きたいと思いました。